
再録: ベイエリア写真談義 兼子裕代さんをお迎えして
9月27日に開催した
兼子裕代さんとのトークショーの内容を文字おこしして公開しました。兼子さんの御厚意で、ご紹介した作品の画像もscribdを利用したスライドとして掲載しております。渡米以前から現在にいたるまでの8年間にわたる作品制作のことをお話していただきました。
当日の記録写真
こういったイベントは、当日お集まり頂いた方達にしか伝わりにくいことも多いのですが、できるだけ多くの方にマレビトスクールや制作に携わっている方の地道な活動を知って頂ければ、と思っています。
兼子さんの作品「
Sentimental Education」に寄せられた、
石井敏夫さんの文章がとても美しい。こんなふうに語る言葉を持てたら、と思います。
哲 学は世界をとらえようとする。哲学の武器は論理である。論理はシンプルなものほど切れ味がよい。単純なものほど深く切り込める。哲学者というのは、何より もまず、深さを追求する種族であるらしい。そのせいなのだろうか、深さと豊かさが両立しないことが多い。深遠さが無一文すれすれに見えることが結構ある。 強みが弱みに見えることが少なくないのだ。弱み(切れ味のよすぎる論理の放棄)がそのまま強みになるような哲学を(いや、人生を、かもしれない)夢見てい る私には、この写真は、一つの希望に見える。
いまや「希望」というコトバが死後になってしまったかに思える日本で、この作家の近年の作品が広く一般に公開されることを、強く願っている。

NPRのニュースで 知りましたが、アメリカの写真家Roy Decaravaが89歳で亡くなったそうです。美術館でのコレクション展示や写真集という形で部分的にしか作品に触れる機会がなかったのですが、第二次 世界大戦後から活躍していた数少ないアフリカ系アメリカ人の写真家として知られています。
ハーレムのコミュニティの人たち、ミュージシャンなどを撮った写真を見ていると、人の所作や表情の美しさ、光と影の織りなすドラマティックな効果に惹かれます。(Black-And-White Black America – The Picture Show Blog : NPR.で18枚の写真が見られます。)
鷹野隆大さんの写真集『鷹野隆大 1993-1996』を撮ってみて、あらためて写真集としての佇まいの良さに気づかされます。20センチ角ぐらいの、小ぶりの本ですが、ページを捲ると絡み合っている人々が、(くんずほぐれつ、というのはこういう状態のことを指すんですね。ほぐれてないのも多いですが。)
本が小さいので、捲って見ていると手の中で人々が蠢いているような気分にもなります。
写真の画面全体が入るように撮ればいいのでしょうが、接写するとどうしても画面が歪むので、画面の端が欠けてしまうような状態で撮ってしまう。というか、その方が臨場感が湧く、というか写真がよりエロティックに見えるような気がします。「物撮り」としては失敗なんですが、写真集を見る体験の「事撮り」としては、ありなんじゃないだろうかと思います。
テラっと光る赤い表紙も触覚的。

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ところで鷹野さんの作品「ぱらぱらクッション」を見て、
「イエス・ノー枕」が脳裏に浮かぶのは、私だけでしょうか。

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先週、写真家の新井卓さんにダゲレオタイプを撮ってもらいました。新井さんのダゲレオタイプ制作については『ケータイとダゲレオタイプ』という記事で書いたこともあり、これまでに4,5回程撮ってもらったことともあるのですが、今回はポーズに一工夫、ということになりました。
何が一工夫かと言うと、ダゲレオタイプを収めるケースを持って写る、ということ。1850年頃に撮られたダゲレオタイプを参考にしました。
上記の記事から抜粋
—-実際に、当時ダゲレオタイプで撮影された女性のポートレート(図9)を見てみましょう。ダゲレオタイプは、革張りのコンパクトのようなケースの中に収められていて、表面に傷がつかないようにガラス板を被せた上で金属製の額が嵌められ、対面する側には臙脂色のビロードのような布が張られています。この布は、ダゲレオタイプの表面を保護し、ケースを半開きにしたときに像を見えやすくする役割を果たしていました。長い露光時間のために、女性は強張った表情をして写っていて、右手(写真では左手に見えますが、ダゲレオタイプは鏡像なので左右が反転しています)ダゲレオタイプを収めるケースを持っています。当時ダゲレオタイプに撮られるということは、一生に一度経験できるかどうかという稀少な体験であり、家族や親しい人が写っているダゲレオタイプを傍らのテーブルや台の上に置いたり、手に持ったりして写ることは珍しくはありませんでした。つまり、ダゲレオタイプを画面の中に入れることが、その人と一緒に写ることの代替的な行為として行われていたのです。
(図9)の場合、女性が手にしているダゲレオタイプのケースは閉じていて、中に誰が写ったダゲレオタイプが収められていたのかは知る由もありません。ひょっとすると撮影時にはこのケースは何も入っていない状態だった可能性もあります。つまり彼女が手にしているのは、このダゲレオタイプが収められているケースそのものだということも充分に考えられます。このダゲレオタイプを手に取って彼女のポートレートを見る人は、彼女の姿を掌に収めると同時に、ケースを介して彼女の手に触れたものに触れることでその手に間接的に接触し、また彼女の姿の上に自らの顔を映すことになります。そのように想像してみると、一点のダゲレオタイプを撮影して像を残すことに託された思いの深さや、写っている人とそれを見る人の間の親密な関係性が、ダゲレオタイプに触れて見る、ということと深く結びついていることがわかります。
ということで、私もケースを膝の上に置き、手を添えて写ってみました。このケース、桐箱で蓋を閉じて織の平紐で蝶結びをするようになっています。

見るからに「お宝感」が漂います。
蝶結びをほどいて蓋を開くと、角度によってはほぼ鏡、の状態。

見る角度を変えると、像がくっきりと見えます。

露光時間は1分40秒程度とさほど長くはなかったのですが、(初めての撮影では6分ぐらいかかった記憶があります)撮影中に眼が乾燥して左眼のコンタクトレンズがズレてしまうという体たらくで、顔が若干動いてしまい、ぼやけ気味。しかし、体や着ているもののディテールはとても鮮明に写っています。
できあがったダゲレオタイプを手にとって撮影してみると、モノとして揺るぎない存在感があります。
いずれ形見として誰かの手に渡されて残っていくのかもしれません。
新井さんは近々ダゲレオタイプのスタジオを構えて、撮影の依頼も受け付けるそうです。(私の友人、柿島さんご夫妻の撮影の模様がこちらで紹介されています。)

2年前に購入したノルウェイの写真家
Tom Sandberg(1953年生まれ)の写真集を繰り返し眺めている。この写真家のことを知ったのは、
2007年にニューヨークのPS1で開催された展覧会だった。
The Morning Newsに、作品とインタビューが掲載されている。
写真を見ていると、宙づりにされた時間、静謐、静止、、というような言葉が湧き、自分がかつて見た光景や、頭の中で再生される映像の一辺を、目の前に差し出されたかのような当惑すら感じてしまう。後頭部の骨まで響く。

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YouTube – 松嶋×町山 未公開映画を観るTVでも紹介された映画『
Jesus CampW』を見て、いわゆるメガチャーチ(2000人以上を収容する教会、なかには45000人の人を収容するスタジアムのような巨大なものもある。全米で1300ものメガチャーチが存在する)のことに興味を持って少し調べていたら、
Joe Johnsonという写真家が、アメリカ各地のメガチャーチを訪ねて撮っている。
建物を撮ったシリーズ「City Pictures」でも、建物とその素材、空間、光の関係の精緻な捉え方が印象に残りますが、「Megachurches」で眼を惹かれるのは、スクリーンやプロジェクター、モニタの捉え方。
礼拝する人たちの視線が向けられるスクリーンと、そのスクリーンに投影される映像をコントロールするコンピュータの画面が、ほぼ同じ大きさで写るように画面の中に捉えられている写真を見ていると、奥行きやスケールの感覚が狂わされてしまいます。
メガチャーチについては
こちら
Joe Johnsonの紹介記事はこちら
The Exposure Project: Joe Johnson’s Mega Churches.

エージェンシーとメディアの垣根を壊す | フォトグラファーGのフォトブログ | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト.
Gary KnightWというフォトジャーナリストのブログ。いくつか興味深いコメントがある。
エージェンシーや新聞、雑誌の間のバリアーは、時間の経過と共に今後ますます曖昧になる。将来はわれわれも、第三者であるメディアのフィルターを通してではなく、直接お客の声を聞くようになるだろう。
私がここで唯一恐れているのは、われわれまでが今のメディアと同じ制約を受けるようになりはしないか、ということだ。もしそうなったら、われわれの作品にはどんな影響が出るのだろう。なかなか興味深い問題だ。
—
私がこの仕事を始めたとき、私は雑誌で働き、フィルムを週に1回飛行機でエージェントに送り、自分で撮った写真を見るのは年に1回ニューヨークに帰ったときだけだった。今ではコラボレーションという新しい考え方があるが、当時ならバカげていると言われただろう。

Lauren Greenfield Photography.
アメリカの写真家、
Lauren GreenfieldW(ローレン・グリーンフィールド)のウェブサイト。>>日本語の略歴は
こちら
写真のほかに摂食障害の少女達を追ったドキュメンタリー映画『
THIN』なども制作しています。

この頃は、オンラインショップや流通の仕組みについて調べたりすることが多くて、その中で見つけて惹かれたのが、サンフランシスコに拠点を置いて活動をしている
Seems というパブリッシャー。
写真家やアーティストが集まって共同で運営しているらしいのだけれど、作りたいように作って、少ない発行部数として
出版し、欲しい人に直接届けるという
シンプルなやり方で本を作っています。
効率や売り上げはともかく、モノを作って人に伝えるやり方としてはとても真っ当な方法だとおもいます。それぞれの本を紹介するページが、木の台の上に置かれた画像から始まっていて、作った人がそこに置いて、買い手に直接送り届けられるという、手から手にわたっていく感触が伝わってきます。日本では
ユトレヒトが取り扱っているそうです。

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翻訳を担当させて頂いた本です。出版社は
PIE BOOKSで、2008年の4月頃に発売されました。
撮る人、選ぶ人。それぞれの写真への想い。第一線で活躍する写真家20名に、キュレーターや編集者など写真の「選び手」8名を加えた総勢28名のインタビュー集。
原著は、Image Makers Image Takers

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現代の欧米の写真家のインタビューがこれだけまとまって日本語で読める本というのも珍しいのではないかと思います。中身の図版、本文のレイアウトは原著と変わらないのですが、翻訳本にはそれぞれのインタビューの冒頭に、関連するウェブサイトの情報を追加しました。わかりやすい邦題がつけられているのに加えて、表紙が原著とはまったくちがうデザイン。小さい画像だとわかり辛いですが、本に被せられた透明なビニールのカバーにモザイクのような印刷が施されていて、ぱっと見た感じだと部分的にモザイク処理を施した写真のように見えます。
翻訳をする前から、すでに作品を見て知っていた写真家も多かったのですが、この本ではじめて
Naomi HarrisWという写真家のことを知り、いわゆる
SwingingWをする人たちのコミュニティーを撮った作品の強烈さが印象に残っています。最近写真集
「America Swings」が刊行されました。
彼女へのインタビューは
こちら。