出産のご報告

3月1日午前6時42分に、3085グラムの女の子を無事に出産しました。娘が無事に産まれてくれたこと、家族をはじめ、支えて下さった周囲の方々に感謝いたします。
希望を持って人生を切り拓いてほしいという願いを込めて、美希(みき)と命名いたしました。
出産から1週間を経て、母子一緒に退院し、慣れない授乳、育児にあたふたする新しい生活の始まりです。
出産は自分にとってあまりにも大きな経験だったので、記憶が鮮明なうちに、前後の経過を少し、記しておきたいと思います。
振り返ってみても、当然ながら、分娩前後の記憶が強烈に体の中に残っています。

2/27 入院前日(24日が予定日で、21日の検診の際に、27日まで陣痛が始まらなかったら、28日に入院して陣痛促進剤を使う、ということが予め決まっていた)の落ち着かない気分で、安産の社として知られる御香宮に夫と一緒に参拝。(御香宮には臨月に入る前後から、散歩を兼ねて何度か足を運び、毎回少額のお賽銭を重ねて、ご利益を願っていた)
夕方から夜にかけて、お腹の張りや子宮口付近の痛みが気になりはじめ、いよいよ陣痛の到来かその前触れなのかと思い、10時頃に病院の電話。症状を説明すると、それはまだ本番の陣痛ではないでしょう、という旨を伝えられる。妊娠初期から経過を確かめるために読んでいた「すべてがわかる妊娠と出産の本」の「陣痛」の項目を、まるで入試直前の受験生が参考書を読むように、繰り返し読む(試験を受けるわけじゃないから、そんなことしても役にも立たないのだが)。ダイニングルームの床に布団を敷いてもらって、いつでも電話がかけられるように携帯電話を握りしめて、途切れ途切れの睡眠。

2/28 10時に入院。内診やレントゲン撮影、検査を済ませる。この時点で、子宮口は4.5㎝。21日の検診時からあまり広がっていない、とのこと。2時から陣痛室で点滴で陣痛促進剤の投薬を開始。胎児の心拍数と子宮の張りを計測しながら、30分毎に投薬のピッチが早められていく。1時間半ぐらいすると、お腹の張りが強くなり、脂汗をかいたり、悪寒がしたり、5分間隔で生理痛が底意地を増したような痛みが訪れるようになり、これが陣痛の始まりというものなのか、と知る。
4時間ぐらいが経過し、点滴が終了した時点で、再度担当医の先生に内診を受けたところ、点滴前から子宮口があまり変化していないので、現段階の措置として子宮口にバルーンを入れて、子宮口の拡張を促すようにする、次の日の午前中から再度分娩に向けて処置を採りましょう、という旨を伝えられる。直径5,6㎝のバルーンを入れられるというという事態を予め想定していなかったことと、出産が1日、もしくはそれ以降になる(つまり、この陣痛が日をまたいでこの先延々と続く)という可能性を知らされ、マジかよ、冗談じゃないよ!と心の中で叫ぶ。
バルーンを入れられたときの痛みと、気持ちの悪さで、ふらつき、腰を抜かしながら陣痛室に戻り、夕食に少しだけ手をつけ、水分補給。陣痛室で付き添ってもらっていた母と夫には、一度仕切り直しということで8時に家に帰ってもらう。
病室に戻って、痛さで眠れるかどうか不安になりながら、ipodでポッドキャストを聴いたり(聴いていたのは「ライムスター宇田丸のウィークエンドシャッフル)、母と夫にメールを送ったり、ツイッターをしたりして気分を紛らわせ10時の消灯時間を迎える。横向きに体を倒し、腰に布団を掛けようとすると、布団があたっただけで腰骨が激しく痛むようになる。痛い、痛いと呻き、このままだと病室で同室している二人の方が眠れないほど大きな声を一晩中出し続けるだろうと判断、ナースコールをして陣痛室に移りたいと伝える。バルーンを入れていたために子宮口から出血もしている。
陣痛室に移動する頃には、骨盤全体が痛み、看護師さんの方に車椅子を勧められるが、痛くて座れないような気がして、そのまま廊下の手すりに縋りながら陣痛室にたどり着く。陣痛室の中でも、ベッドに横たわることはできず、アクティブチェアに跨がり、子宮の収縮を計測しながら、5分間隔になった陣痛の合間に、母と夫に陣痛室に戻ったとメールで伝える。ようやく家に辿り着いてようやく一息ついたばかりだったらしいが、そのまま電車に乗って病院に戻ってくれるという連絡が入る。暗い陣痛室で痛い痛いと呻きながら、二人を待ち、痛みの合間に気を紛らわせるためにツイート。

3/1 陣痛本格化し、母と夫に交互に腰をさすってもらうなかで、痛みがさらに強まり、間隔が狭まってくるる。骨盤、尾てい骨をハンマーで叩かれているような痛みが波のように襲ってくる。母も夫も疲労困憊し、仮眠を取りに部屋を出るので、時折看護師さんにも来て頂き、腰をさすってもらう。痛みで足を踏ん張りすぎて、下半身が硬直して、チェアーに跨がるのも無理だと判断して、3時過ぎにベッドに横向きに寝る。この頃から、痛い、痛いと呻くのはやめて、陣痛の痛みが到来する毎に「ヒ、ヒ、フー」という声を出すようにする。痛いと呻き続けると体力を消耗するのと、「痛い」という言葉を発することで痛みが増強するので、「ヒ、ヒ、フー」という意味のない音、呼吸に変えることで、痛みから注意を幾分逸らすことができたような気がする。
5時頃にベッドの上で診察してもらったところ、子宮口が開いているらしいことがわかり、バルーンが子宮口から取り出される。その後間もなく、破水。6時に夫と共に陣痛室から分娩室に移動する頃には、娘の名前を連呼し、「早く出てこい、頑張れ」と絶叫。分娩台に乗ったときには、陣痛の痛みの感覚も変わり、いきむためのタイミングを計るための呼吸に集中。助産師の方からの声かけに応える余裕がなかったこともあるが、とにかくいきむことに集中。
おそらく、いきんだ回数は10回前後だったのだと思うが、最後にいきんだときに脳内になぜかあらわれたのは、サンフランシスコに滞在していたときにサーフボードの上で見た波の光景だった。たぶん、自分が波になって、その波に乗って娘がサーフボードの上に立ち上がる瞬間をイメージしていたのか。言葉にすると出来過ぎのようだが、事実そういう光景が脳内に浮かんだ瞬間に、娘が出てくると確信。

で、出てきた。感動するというよりも、呆然。目の前で処置台に運ばれる娘に向かって「よく頑張って出てきた」とか声をかけていたような気がする。

後処理を施され、胎盤を見せてもらい、諸々説明を受けて、2時間後に分娩室を出る。9時過ぎに病室に戻った頃には、体はズタボロに疲れていたはずだが、意識は妙に覚醒していた。昼過ぎにふらふらと立ち上がり、ベビールームに行って娘の顔を見る。その後数時間、途切れ途切れに眠る。

3/2 昼から隣の病室に移動、母子同室を始め、おむつ替え、3時間毎の授乳、寝かしつけなど、6日間にわたる新米母さん強化合宿が始まる。同室になった産婦の方とあたふたしながら、母さん修行に勤しむ。陣痛室でベッドが隣り合わせだった方、隣の分娩室でいきんでいた方と、それぞれの出産にいたるまでの経緯を語り合い、互いのグッドジョブを讃えるが、感慨に浸る余裕はほとんどなく、それぞれに母さん修行に取り組み、診察を受け、合間に体を休める、などして慌ただしく過ごす。母子同室の初日は緊張もあって夜はほとんど眠れず、授乳もほとんどできず、といった感じで疲労困憊。

3日,4日以降になって眠れる(というか娘の世話の合間に気絶するように意識を失う)ようになるが、分娩時の会陰切開の縫合の痛み、授乳時の筋肉の硬直で体のあちこちが痛む。母に頼んで、エアーサロンパスと湿布薬を買ってきてもらう。毎回の授乳のたびに、何かの競技に取り組んだ後のようにぐったりと疲れる。そうこうしていても、毎日娘の顔は変わってゆき、その変化の早さに驚かされる。夜中に授乳に格闘しながら、今この瞬間に授乳している母さんたちは世界中に何百万人もいるのだろうな、ということをぼんやり思ったりもする。授乳後の娘の表情は、酔っ払ったおっさんの顔のようにも見え、泣き声は、同室になったほかの赤ちゃんたちよりも幾分低めで野太く、その泣き声も、状況によってかわってくることがわかってくる。

続きはまたいずれ。。

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