

temp pressの澤辺由記子さんのご紹介で、東京都板橋区にある内外文字印刷株式会社に、マレビトスクールのメンバー
久保元幸さんと、建築家の
松畑強さんと一緒に見学にお邪魔しました。
代表取締役会長の小林敬さんから頂いたお名刺には「どこまでもグーテンベルグ わたしたちは金属活字活版印刷tで本造りを続けます」という宣言のお言葉。午前中いっぱいのお時間を頂いて、馬棚にぎっしりと並ぶ活字や、活字を鋳造する機械、文字を拾う作業、文字を組んでページを作る作業、印刷の作業を見せて頂き、いろいろとお話を伺いました。自分が生まれる前から使われ続けている機械が働く様子や、鋳造される一つ一つの文字のモノとしての存在感、指先に眼がついているかのように仕事をされる職人の方たちの所作に圧倒されたひとときでした。
DTP、インターネット環境にどっぷりと浸かって生活している自分のことを振り返ると、人の発する言葉が活字として立ち現れ、離れたところにいる人の眼と手のもとに届けられるまでに、途方もなく手の込んだ行程を要していたこと、今の文字伝達環境が長い歴史と技術の蓄積の上に成り立っていることを忘れてしまっています。本や雑誌の原稿執筆や、翻訳の仕事をするという立場で、印刷物の生産にかかわっているものの、キーボードを叩き、データのやり取りをすることが作業プロセスのほとんどを占めていて、手で紙の上に文字を書くこともほとんどないし、ゲラ刷りの確認ぐらいしか、紙の上で作業をすることはなくて、出来上がった雑誌や本が手元に届けられても、それによってモノを作っているという実感が得られることはあまりなかったりするのです。
世の中の趨勢から、過去にそうであったように活版印刷が産業として成り立つということは今後ないのだと思います。しかし、技術の成り立ちを知り、そのプロセスをたどり、その手触りや音、匂い、重み、温度といったことも含めて触れておくことは今、必要なことなのではないか、とも思うのです。
トークイベント「モテる写真!」に関連して、「私が惚れた写真集たち」を数冊ご紹介します。美術関係の教育機関で定期的に講義をしたり、写真関係の本を翻訳したりしてきた経験もあるので、それなりの数の写真集やカタログなどを資料として買ったり、図書館で借りたり、時には頂いたりして見てきています。いずれ仕事で使うから買ったとか、たまたま手に入ったから持っているという本も多いのですが、どうにも気持ちが動いて仕方ない、手元に置いておきたいと惚れ込んで買ってしまったものも、数々あります。
そういう写真集を、生活の中で頻繁に手に取って見ているのか、と言われると実際のところそうでもなかったりするのですが、一度手に取り、ページを繰ると、やっぱり好きだなぁという気持ちがじわじわと湧くし、住む場所を変えても、処分したり仕舞ったりせずにずっと近いところに一緒にいるものなので、私になにがしかの影響を与えてくれるものだと思います。
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そういうことをつらつらと考えながら、本棚を眺めていて、まず手に取ったのが
アンドレ・ケルテスの『from my window』(1981)。長年連れ添った妻エリザベスに先立たれ、塞がった気分で過ごしていたケルテスは、偶然手に入れたポラロイドカメラSX 70でニューヨークのワシントン・スクエア近くにあるアパートの窓辺で、手近にあるものを撮り始める。当時彼は84歳。それまで白黒写真で撮っていた彼にとってポラロイドによるこのシリーズは、初めてのカラー写真による作品、ということでもある。ポラロイド特有の、表面の層に光が溜まっているような密度をそなえた発色。
光の差し込む窓辺に置かれたさまざまなオブジェの中に、滑らかな曲線をえがく胸像のようなガラスのオブジェがある。ケルテスが近所のアンティークショップの店先で見かけたときに、そのかたちがエリザベスの姿と首筋を彷彿させるからという理由で衝動的に買い求めたものだという。ガラスのオブジェは、窓辺の光の移ろいを透し、階下の眺めを留め、刻々とその色合いと表情を変えていく。その表情を写しとめることに彼は日々の大半の時間を費やしていたのだという。「for Elizabeth」という冒頭の献辞に添えられた写真に収められた、正面を見るエリザベスのモノクロームのポートレート写真。彼女の肩を抱く手はケルテス自身のもの。写真の上に重ねられたいばらの輪。時間の層に触覚が深くたくし込まれている。
この写真集に巡り会ったのは、20歳代前半。ニューヨークに旅行していて
URSUS BOOKSという古書店本屋で見つけて、思いきって購入した。その当時は、この作品にまつわる、一人の女性への愛情に根ざしたエピソードに感情移入して、光の移ろいがもたらす豊かな色の表情に惹かれて、見えない女性の佇まいに重ね合わせて想像しながら写真を見ていたように思うのだけれど、今はもう少し違う見方もできる。
この本は、正方形に近い版型で、上下左右に写真と同じくらいの幅、高さの白場が設けられている。つまり、写真が紙面という表面に穿たれた窓のように現れ、対面するページを連なるように続いていく。手近に捉えられたオブジェは、その背景に退く遠景の光によって、内省と回想の空間を立ち上がらせる。窓の内側として描き出される空間は、光が到来するその遠い在処につながっている。小さな窓から視線をどこまで遠く届かせることができるのか、という深い問い。windowの語源が「風の眼」という意味を持つことを思いながらページを繰ると、色の移ろいは私の眼の奥で、風のような空気の流れとして立ちあがる。
写真集の表紙はあたたかな光を彷彿させるようなオレンジ色、その影のようにはりついた見返しのインディゴ・ブルー。光と影、内側と外側、近さと遠さ、その往還を暗示しているようでもある。
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