マレビトスクールのサイトに新井卓さんとのクロストーク、
「銀板写真師(ダゲレオタイピスト)」という仕事 の再録を掲載しました。
この再録は、ICレコーダーで録音した音声を文字おこししてかなりの編集を加えたものです。
音声データを何回か聴いていると、声がピッチや広がり、温度や色あいのような複雑で豊かなニュアンスも含んでいることに気づきます。そういう会話を文字情報に転換すると、場の雰囲気はそぎ落とされてしまうのは致し方ないのですが、全体の内容を何となく掴めるような記録を残していきたいと思っています。
過去のクロストークの記録
この作業や、最近見たり聴いたりしてきた展覧会やコンサート、スライドショーなどをとおして文字や音、声に意識を向けることが多くなりました。手持ちの雑記帳に走り書きした言葉をふと思って撮ってみると、筆圧や字形、紙の肌理、インクの色が妙な生々しさを帯びて立ち上がって見えるのが面白いです。
目黒区美術館で文化資源としての炭鉱展という展覧会が開催されています。近代化・産業化を底辺から支えてきた炭鉱業にまつわる版画や絵画、写真が・展示されています。以下サイトから引用です。
1950年代の エネルギー革命によって、エネルギー資源は、石炭から石油へと急速にとってかわられました。今や、石炭を目にしたことのない子供たちが多数を占め、取って 代わった石油にも枯渇の危機が懸念されるにいたっています。石炭産業が国家的事業として、戦後の日本の復興に大きく寄与していた時代はもう遠い過去のこと のように思えてきます。しかし、そのような時代になればなるほど、炭鉱への関心が様々な形で喚起されているようにもみえるのは一体なぜなのでしょう。
例 えば、最近では軍艦島上陸ツアーが人気を呼んでいますが、これは石炭掘削のための立坑などの巨大設備を 「近代化遺産」と呼び、産炭地を見て回るという、新たなツーリズムの一典型とみることができるでしょう。また、かつての炭鉱従業員のための住宅(炭住)を 舞台に、「フ ラガール」や「東京タワー」のような、人情味ある人間 関係を描いた映画が、多くの人々の共感を得たのもつい最近のことです。そこには、失われたものへのノスタルジー(郷愁)の喚起という側面もある一方、今は 失われてしまった、人間味のある大きな力への渇望や人情味ある人間関係などへの希求があるに違いありません。
戦 後社会の高度経済成長を支えた炭鉱を、「視覚芸術」はいかにとらえ、どのように表現し、「現在」にどのような炭鉱イメージをもたらしたのでしょうか。本展 は、炭鉱と視覚表現の歴史的な関わりを検証いたし ます。同時に、かつて‘地下’資源で繁栄した産炭地が、エネルギー政策転換などで経済的苦境にある現在、 炭鉱などを主題にした美術をはじめとする視覚芸術の‘文化’資源化を提起します。‘文化’資源化による産炭地域の社会再生について、息の長い思考と取り組 みを期待してのものです。さらに、石炭とその問題の表現を通じて、私たちを取り巻くエネルギーに対する考え方、姿勢などについて再考する機会ともなること を期待します。
戦後写真史に名を残す土門拳や奈良原一高の作品が見られたのもよかったのですが、一番印象に残ったのは、遠賀郡の炭鉱で働きながら坑夫の姿などを描いた版画作家、千田梅二の『炭鉱仕事唄板画巻』。木版の一分の一スケールで刻み込まれた簡素な線が力強く、ルオーやエルンスト・バルラハの作品を思い出したりもしました。
マリオ・ジャコメッリ写真集(完全日本語版) 青幻舎 新刊情報.

掲載されているエッセイの一つを英語から日本語に翻訳させて頂いています。重厚な一冊。お勧めです。

Ayuo Official Web Site
マレビトスクールのロゴデザインをお願いしているデザイナーの
コチャエさんのご紹介で、ミュージシャンの
高橋鮎生さんにお会いする機会がありました。
10代の頃に目にしていた
TECCHIという音楽雑誌で初めてお名前を知ったように思います。
Ayuo Official Web Site で何曲か音源を聞くことができます。体の芯に響いて、心の表面張力をほどくような音楽だと思います。
11月27日と28日にCD発売記念特別コンサートが開催されます。楽しみです。
マレビトスクールメンバーの久保さんとProject Bashoを運営する伊藤さんのワークショップが12月と1月に開催されます。興味のある方は是非ご参加下さい。
講師:伊藤 剛(Project Basho)+久保 元幸(The Prints)
場所:「ヒットオン」東京都中央区入船 2丁目5番9号 入船サイト2階 http://www.hit-on.co.jp
日時 デジタルカメラからプラチナプリント – 2009年12月20日&21日
ガムオーバー・プラチナプリント – 2010年1月17日&18日
それぞれ午前10時から午後5時まで
デジタルカメラからプラチナプリント – 2009年12月20日&21日
このワークショップではデジタルカメラで撮影したデータからフォトショップとインクジェットプリンターを使ってデジタルネガを作成し、ハンドコーティング印画紙に紫外線露光機でコンタクトプリントをしてプラチナプリントを作ります。
プラチナプリントは1873年にイギリス人のウイリアム・ウイルスが発明し特許を取得してから既に130年以上の年月が経っていますが、現存する当時のプリントは現在でも色褪せることなく当時の輝きを今に伝えています。
プラチナプリント特有の豊かな階調と耐久性を合わせ持つこのプロセスはモノクロプリントの王道と言えます。是非この機会に体験してみて下さい。
募集人数:6名(12月12日までに4名集まれば行います)
参加費:@52.500円(2日間)薬品・材料費込み
持ち物:パソコン(要、Macインストール済み「Photoshop CS3」以降)、デジタルデータ画像 (psd, tif形式:360dpi程度)、モノクロネガ(希望者:なるべく大判サイズ)、エプロン、タオル、ノート、筆記用具
1日目は自己紹介のあとにデジタルネガの作り方とプロセスの流れを簡単にレクチャーし、その後各自プリント作業をしてもらいます。
2日目は終日、参加者にプリント作りをやってもらい最後にクリティックを行います。
ガムオーバー・プラチナプリント – 2010年1月17日&18日
ガムオーバー・プラチナプリントは1900年代の初頭にエドワード・スタイケンやアルヴィン・ラングドン・コバーンを中心に、多くの写真家達に愛用されたプリント方法です。プラチナプリントにガム印画法を加えることで、プラチナプリントだけでは得られない階調のコントロールと豊かな色調を作り出すことができます。
今までのプラチナプリントの色調では飽き足らない人や、色を組み合わせることで新しいプリントの可能性を模索している人にはとても可能性のある印画法です。一つのプロセスに頼らず、ほかのプロセスを混ぜることで新しい表現が生まれるコンビネーション・プリンティングが今脚光を浴びていますが、あなたもその第一歩をこのワークショップで体験してみませんか。
募集人数:6名(1月8日までに4名集まれば行います)
参加費:@52.500円(2日間)薬品・材料費込み
持ち物:モノクロネガまたはプラチナプリント用のデジタルネガ、エプロン、タオル、ノート、筆記用具
1日目は自己紹介のあとにレクチャーとプラチナプリントを行います。
2日目はガム印画法の説明の後に前日に作ったプラチナプリントの上にガムを印画します。
伊藤剛 web:「Project Basho」http://www.projectbasho.org
blog:「フィラデルフィア写真紀行」http://phila-photo.projectbasho.org
久保元幸 web:「ザ プリンツ」http://www.theprints.jp
blog:「久保元幸印画研究室」http://blog.livedoor.jp/motoyukikubo/
オルタナビト・ワークショップ・シリーズの詳細、申し込みについてははこちらをご覧下さい。 http://workshops.alternabito.com/

久保元幸さんとのクロストーク「像をモノに転換する技術 プリンターという仕事」の準備を進めています。久保さんは今年二回渡米されて、さまざまな印画技法のワークショップを受けてこられたのですが、Scully & Osterman Studioでの湿板写真(19世紀半ばに盛んに制作されていた技法)のワークショップの画像を見ていると、その機材の魅惑的な佇まいに惹かれます。
コンピュータやデジタルカメラをアップデートしたり買い替えたりしていかないといけないような時代に生きている中で,長く使われてきた道具と技法でものが作れるということを知ること、体感することは大切なことのような気がします。
クロストークのお申し込み、おかげさまで好調です。お早めにお申し込み頂ければ幸いです。

下平竜矢 / SHIMOHIRA TATSUYA「Family」引用元:
TOTEM POLE PHOTO GALLERY.
以前よりウェブサイトで作品を拝見していて気になっていた
下平竜矢さんの展覧会を見てきました。ご家族、親戚の方たちをとらえた写真で構成されていて、周囲の状況を含めたポートレートというか、生活のありようが写されている人の所作や居住まい方から見えてくるような丁寧な作品でした。
展覧会に併せて限定60部で作られたという冊子の文章もいいです。
じきの出産に備え、兄の嫁は張りに張ったお腹を抱え入院した。
蝉の声は日を追うごとに増え、季節は春から夏へと移り変わるさなかだった。
そして入院してから一週間後の出産当日、私は兄嫁が陣痛の痛みに耐える姿を目の前で見ていたが、何も出来ずにただぼんやりと椅子に座っていた。その時ふと私は何故か、実家の近くにある小さな森の事を思い出していた。
この季節は繁殖期をむかえた蛍が森の中で光り始めるので、今時分は見物客もぱらぱらいるはずだが、普段の夜は街灯もなく人もいない静まり返った森だけがそこにあった。
私は数年前のそんな夜の森の中を、夜ごと歩いていた事があった。
それは、森の奥を「子宮」森全体を「胎内」と仮定し、外をまさに「外界」として行きつ戻りつ繰り返し歩き、さながら疑似再生の様な作業を、手探りの中で毎夜の様に続けていた。
しかし、それを始めてから数ヶ月たったある日の夜、森の奥に突然現れ、ふらふらと近づいてきた季節外れの蛍の光によって外へと導き出された私の命に、私の内なる光を思ったのだった。そしてそこで私は数ヶ月に及んだ歩みに一区切りをつけ、それ以後は振り子のように外へと向かっていった。
そう、思えば人間の命というものは本来は光そのものであり、何をしようが何をしなくても、太陽の様に産まれたての姪の様に、そこにいるものを明るく照らし出すものなのだ。だからこそ私は、光を遠くに見ながら歩むのではなく自分自身が光となり、目の前の道を明るく照らしながら歩いて行きたいと思っている。

再録: ベイエリア写真談義 兼子裕代さんをお迎えして
9月27日に開催した
兼子裕代さんとのトークショーの内容を文字おこしして公開しました。兼子さんの御厚意で、ご紹介した作品の画像もscribdを利用したスライドとして掲載しております。渡米以前から現在にいたるまでの8年間にわたる作品制作のことをお話していただきました。
当日の記録写真
こういったイベントは、当日お集まり頂いた方達にしか伝わりにくいことも多いのですが、できるだけ多くの方にマレビトスクールや制作に携わっている方の地道な活動を知って頂ければ、と思っています。
兼子さんの作品「
Sentimental Education」に寄せられた、
石井敏夫さんの文章がとても美しい。こんなふうに語る言葉を持てたら、と思います。
哲 学は世界をとらえようとする。哲学の武器は論理である。論理はシンプルなものほど切れ味がよい。単純なものほど深く切り込める。哲学者というのは、何より もまず、深さを追求する種族であるらしい。そのせいなのだろうか、深さと豊かさが両立しないことが多い。深遠さが無一文すれすれに見えることが結構ある。 強みが弱みに見えることが少なくないのだ。弱み(切れ味のよすぎる論理の放棄)がそのまま強みになるような哲学を(いや、人生を、かもしれない)夢見てい る私には、この写真は、一つの希望に見える。
いまや「希望」というコトバが死後になってしまったかに思える日本で、この作家の近年の作品が広く一般に公開されることを、強く願っている。